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最高裁判所第二小法廷 平成8年(あ)1157号 決定

本籍

栃木県鹿沼市酒野谷七九五番地

住居

埼玉県草加市高砂一丁目一二番三七号

会社役員

津吹福壽

昭和二二年一月一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成八年一〇月一四日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人小栁晃の上告趣意は、事実誤認の主張であり、被告人本人の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 根岸重治 裁判官 大西勝也 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)

平成八年(あ)第一一五七号

上告趣意書

被告人 津吹福壽

右被告人に対する所得税法違反被告事件についての、上告の趣旨は、次のとおりである。

平成九年一月一四日

弁護人弁護士 小栁晃

最高裁判所第二小法廷 御中

原判決には、以下に指摘するとおり、その結論に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 原判決は、

『本件商品先物取引は、いずれも、被告人がその意思と計算に基づいて行ったものである』と認定している(原判決書第二頁)。

しかし、原判決の言う本件取引は、山種物産株式会社の外務員であった藤畑繁成が加藤晃、伊藤博文こと伊藤一、有限会社エース商事その他原判決の掲げる会社(以下、これらの者を「取引名義人」と総称する。)から、予め包括的に委任を受けた上で(と言う意味は、先物取引の《売り》《買い》について取引名義人から個別注文を受けないで、自己が一任された裁量の範囲内で)、取引名義人の名義及び計算において行ったものである。

原判決は、右の点を誤認している。

二 前項の後段に述べたことは、

〈1〉 第一審で取り調べた『商品先物取引売買益調査書』(甲第三号証)に記録されている商品先物取引の《頻度》が外務員にして漸く行い得ることであって、被告人のごとき素人には到底できないこと

〈2〉 藤畑繁成は、山種物産株式会社から自己の歩合給として、

平成元年は、 九三六万八五六八円

平成二年は、 九三七九万六二三六円

平成三年は、一億〇一九三万九七一八円

平成四年は、一億四四二五万三五六〇円

平成五年は、一億一一九六万〇〇七三円

の収入を得ていたが、そのうち平成二年度の収入の約六割、平成三年度から平成五年度までの収入の約七割は冒頭の商品先物取引による歩合給であったこと(甲第八号証の第四項)

〈3〉 もし、取引名義人が名実ともに行った商品先物取引であったならば、それによる益金が生じた直後に取引名義人により益金が山種物産株式会社から引き出されて然るべきであるのに、実際は、そうなっていないこと

〈4〉 いわゆる「湾岸戦争」の偶発により商品先物取引の相場が激変し、前述の取引名義人らは合計すると『一億五、六千万円』もの《追い証》を提供する必要に迫られる事態が生じ、最悪の場合は、それと同額を藤畑繁成自身が(取引名義人らに代わって)山種物産に対して補填しなければならない立場にあったこと(第一審における藤畑の証言、速記録一三枚目表及び四〇枚目表~裏)

〈5〉 各取引名義人から山種物産株式会社に預託した《委託証拠金》が不足した際に、他の取引名義人の口座の余剰金を振替え流用し得たのも、同社の外務員である藤畑繁成が会社に実情を秘して画策したことにより実現したものである。

しかも、藤畑の右の挙に出たのは、委託証拠金不足に陥った取引名義人の商品先物取引が中止される事態を招けば、同人が取引名義人との間に締結した包括委任契約(→第一項後段)に定める義務に違反する懸念が生ずるのみならず、自己の歩合給(→右〈2〉)にも甚大な影響を及ぼすことになるからである。

〈6〉 山種物産が国税当局の調査を受けた際に(後述)、右の取引名義人(有限会社エース商事その他)の『利益が大き過ぎ』(山種物産の)他のお客さんが利益を得ていないのに君(藤畑)の担当だけが利益を得ている』事実が国税当局から指摘され、国税当局から『(有限会社エース商事等が)山種物産のダミーでないか』と疑われる場面もあったこと(第一審における藤畑繁成の証言、速記録三七枚目表。ただし、傍線は引用者による。)

これらの事実により容易に是認し得る。

藤畑は、被告人の注文に従い、被告人の計算に基づいて、本件取引が行われたと強調しているが、それは藤畑が立場上そう言わざるを得ないだけのことであって、右〈1〉から〈6〉までの各事実と対比すると、藤畑が強調する点は信じることができない。

三 もっとも、藤畑繁成は、右の商品先物取引による益金が生じた場合に、それを自ら取得することをしないで、同人が個別に注文を受けたように装った名義人に帰属すべきものと扱っている。

藤畑としては、迂闊に商品先物取引の益金を自己に帰属すべきものとすると、逆に損金が生じた場合にその損失を自己が被らなければならない事態に陥るので、上述の歩合給を以て満足することにしたものと思われる。歩合給のみで年収一億円を超えるのであるから、無理のない選択であった。

第一審において関口惠規証人(山種物産の元副社長)が

山種物産が国税当局の調査を受けたのを契機にして、関口証人が藤畑繁成外一名に対して、国税当局が「商品先物取引の裏に津吹氏(被告人)がいる」と言っているが、『どうなんだ』と何回も聞いたが、藤畑らは『そんなことはありません』「名義人の取引である」と関口に対し返答した旨(関口の速記録六枚目裏)

及び

『借名であるというのは国税が言い出したことで、ですから、国税調査の前までは借名なんてこと一切気にせずにと言いますか、疑問もなく(名義人である有限会社エース商事等と)取引をしてました……』(関口の速記禄七枚目裏)

と証言したことからも、その一端を窺うことができる。

四 右の状況にあったところへ、平成六年三月、山種物産が国税当局の調査を受ける事態が生じた。

調査の結果、

有限会社エース商事等が『山種物産のダミーじゃないか』(第一審における藤畑の証言、速記録三七枚目表)

『山種が客をもうけさせている、山種が(有限会社エース商事等の)裏で関与しているとかなんとか表現ちょっと正確じゃないですが、裏に山種がいるということは国税は盛んに言っていました』(第一審における関口の証言、速記録五枚目裏)

との疑問が生じ、山種物産の側では、その対応に苦慮することになった。

山種物産の側は、国税当局の調査を受ける前は、

『借名であるというのは国税が言い出したことで、ですから、国税調査の前までは借名なんてこと一切気にせずにと言いますか、疑問もなく(名義人である有限会社エース商事等と)取引をしてました……』(関口の前掲証言)

しかし、

『結局各法人(有限会社エース商事等)の利益というふうにしていくためには、その法人各社の代表の方がはっきりと相場を認識しているということではございませんので、その辺の絡みがありました』ため、(裏に山種物産が関与していない、とすれば)被告人がそれらの法人の名義を借りて山種物産と商品先物取引を行っている、との見方が国税当局に浮上することになった(第一審における藤畑の証言、速記録五枚目裏。ただし、傍線は引用者による。)

のである。

けれども、その点は、取引名義人らが「相場を認識していない」からこそ、藤畑に対して包括的に商品先物取引の一切を委任したのであり、そのことを認める見地に立てば、右傍線箇所のように断定することはできないのである。

五 第一審における藤畑繁成の証言によれば、

(同人は、逮捕直後の取り調べに際して)最初は取りあえず名義各社の商いであるということを一応話しておりました。

けれども、

各社代表の方がすべて自分のものでないと、拒否しているということを取調官にお聞きしまして、それでその日(平成七年二月五日)から供述を変えております。……

(前略)その方々が自分のものでないということをはっきりと供述しているならば私もうそをついたことになりますので、そういうことで一応供述してあります。

とのことである。(速記録二枚目表~裏)

藤畑にとっては、取引名義人らにより商品先物取引が頻回に行われたように装い、それにより自己の歩合給が得られれば、それで満足していたのであるから、商品先物取引による益金が生じた場合の帰属先が何者であるかについて藤畑自身が拘泥する必要がなかったわけである。

その意味において、藤畑が逮捕された後に、上述の経緯で、捜査当局に対し、問題の商品先物取引は実際は被告人が行っていた旨を供述しているのを重視すべきではない。

第一審における藤畑の同種の供述についても同様である。

六 第一項後段の事実を前提にすれば、本件取引の名義人(法人の場合は、その代表者)が「商品先物取引の相場」を認識していないのは、何ら怪しむに足りないことである。

又、商品先物取引により益金が生じた場合について取引名義人の間で事前に何の申し合わせもなく、その益金の運用方法について漠然と「グループ会社間で共用する」程度の認識しか持ち得なかったとしても無理からぬことである。

七 しかも、取引名義人中の「有限会社エース商事」及び「有限会社ジーアイ」の代表者である石井信治の例のように、取引名義人(の代表者)は、

勝栄建設という会社から二〇億円の損害賠償金の支払を請求する訴えを提起され(同人の速記録四一枚目表。同人を含めて三六名がその請求を受けたと言う。)、

検察庁で取り調べを受けた際にも、

『勝栄建設等から告訴されているよ』

と告げられて、その件で取り調べを受けた直後に、本件被告事件に関する取り調べを受けたこと

が窺われる。(第一審記録中の石井信治の速記録四五枚目裏~四六枚目表)

取引名義人らは、益金が現実に自己の支配下にない時期(=国税当局により差押えられた後)において、しかも、勝栄建設等の告訴に係る嫌疑を受ける状態の下で本件被告事件の取り調べを受けたのであり、商品先物取引による益金が自己(又は自己が代表する法人)に帰属する旨を主張しても何ら自己(当該法人)を益するところがないばかりか、逆に、その益金が自己(法人)に帰属すると主張することが取り調べにあたる検察官の意に反する結果になることを承知して、「商品先物取引は、被告人が行ったものだ」「その益金は被告人に帰属する」と供述しているのである。

従って、取引名義人らの右供述をそのまま信用することはできない。

八 原判決は、

(本件取引の関係者の)『供述内容は、詳細で自然かつ合理的であり、かつ、本件取引の状況、取引益の管理状況、名義会社の実態等の重要部分、さらには本件後の罪証隠滅工作に至るまで一致し、関係書類の記載内容にも符合しており、高い信用性が認められる』と言う(原判決書第五頁)。

しかし、

ア 第六項に述べたとおり、本件取引名義人(名義会社を含む。)が「本件取引の状況」及び「取引益の管理状況」について漠然としか認識していなかった実情の下で、前項の事情があったことを顧慮するならば、取調官の暗示に順応して「一致した供述調書」が作成されただけのことだと考えれば説明のつくことである。

イ 例えば、伊藤一の供述調書(甲第三一号証の第二頁~第三頁)には、

『エース商事で金(きん)〇〇枚売り又は買い

飯島で金(きん)〇〇枚売り又は買い

伊藤で金(きん)〇〇枚売り又は買い

加藤で金(きん)〇〇枚売り又は買い

などと言って〔被告人が山種物産に〕注文を出しているのを何回も見ました』

との記載がある。しかし、その時期は(前後の文脈から判断して)「平成元年一一月から翌年一月前後ころにけやきマンション一階に第一事務所を借りるようになるまでの間」(同供述調書第一五頁)を指すものと解釈される。

従って、本件で問われている平成三年から平成五年までの出来事を述べたものではない。

伊藤の供述調書を含め、他の関係者の供述調書においても、

『商品先物取引売買益調査書』(甲第三号証)に記載された先物取引のどの部分について被告人が注文したと言うのか

を具体的に説明したものは第一審において調べた証拠中に何もない。

ウ 原判決は「名義会社の実態」を云々するが、指摘されるとおりの実態に過ぎない会社は世間に無数にあることは、公知の事実である。

そして、そのような会社と山種物産の藤畑繁成の間に第一項後段に述べた趣旨の「包括的委任」が行われたことも何ら奇異のことではない。

エ さらに、原判決は、被告人の「罪証隠滅工作」を云々するが、「被告人が本件取引を行った」との予断を持つから、《罪証隠滅工作》に見えるのに過ぎない。

被告人の言うとおり、本件取引が名義人のために行われたものだ、との認識に立つならば、同じ事実が《罪証隠滅工作》どころか、被告人が関係者に「事実をありのまま述べよ」「自分達が取引当事者であることをしっかり認識し、誤解を招くことのないように」と注意を喚起しただけのことであることが明瞭になる。

九 さらに、原判決(第三頁)は、

山種物産株式会社に対する取引の注文のうち名義会社の名義による一回目のものは当該名義会社の代表取締役らから伝えられたことがあったが、そのほかの多数回にわたる名義人及び名義会社の注文は全て被告人からされていた

と指摘する。

右の指摘のうち一回目の注文については被告人の認識と合致するけれども、その余の注文について「全て被告人からされていた」と言うのは事実を誤認している。

実際は、藤畑繁成が(取引名義人からの包括的委任に基づいて)取引名義人の名において商品先物取引を行っていたのであり、藤畑は個々の取引について取引名義人から個別に注文を受けることをしていなかったのである。しかし、藤畑は、自己の立場上そのように言うことができないので、個々の商品先物取引について「顧客」からの注文があったと主張する外なかったのである。

そして、誰が「顧客」であるかについて、前述(第四項)の事情があったため、藤畑は「被告人」を顧客に仕立て、被告人から注文があったかのごとく供述しているのである。

また、取引名義人(名義会社の代表取締役)は、自己が注文したことを是認するよりは、それを否認した方が都合が良い状況下において、その点を供述しているのである(→第七項後段)。

一〇 なお、原判決と結論を同じくする第一審判決(一二枚目裏)が、

〈1〉 加藤晃と株式会社ダイコー代表取締役津吹福壽の間に、加藤晃が本件取引とは無関係であると認める趣旨の覚書が作成されていること

〈2〉 伊藤博文(本名、伊藤一)がフューチャーズ社に宛てた通知書に「被告人の自宅の電話番号」が伊藤の電話番号として記載されていること

〈3〉 東京国税局が第二事務所を捜索した際に、各名義会社の社印・社判を押収されたこと

を指摘し、これらの事実と対比すると、本件取引関係者の供述調書の記載は信用するに足りると判断して良い、と説明し、原判決(第五頁)も右〈3〉と同様の指摘をしているので、それらの点についても誤解をときたい。

右〈1〉は、加藤晃の家庭事情(同人が妻に内緒で商品先物取引を行っていたことが妻に発覚し、夫婦喧嘩になった)のを収拾する手段として作成されたものであるから(第一審における被告人質問、平成七年七月一四日『速記録』五〇枚目表以下を参照。)、その作成目的に照らして考えると、被告人が(株式会社ダイコーの代表取締役としての立場で調印したものであれ)「加藤晃が本件取引とは無関係である」と認定し得る根拠となるものではない。

右〈2〉は、『当時、私〔伊藤一〕は、津吹社長の自宅を事務所として二人で不動産売買の仲介等を行っていたので、ほとんど毎日津吹社長の自宅に行っていたのです…(以下引用省略)』と伊藤自身が認めているのであるから(第一審で取り調べた同人の供述調書、甲第三一号証の第二頁)、その通知書に伊藤の連絡先として被告人の自宅の電話番号(=伊藤が昼間滞在する事務所と同じ。)を書いたことは何ら奇異のことではない。

右の次第であるから、この電話番号の記載から、本件取引が被告人の意思と計算において行われたと認定すべき根拠になるものではない。

右〈3〉は、被告人が国税局の担当係官に釈明のため会談する約束があり、その機会に実情を説明する都合上、これらの社印・社判を第二事務所に集めて置いたところ、押収されたものであって、普段からこれらの社印・社判が常時そこに保管されていたわけでない。

(『商品先物取引売買益調査書』甲第三号証の第三四〇頁のNo一二一及び一二二の記載によれば、名義会社中「レディースカンパニー」の丸印及びゴム印は福田眞姫こと金眞姫の居宅で差し押さえられている。従って、取引名義人の代表社印を『全て被告人が寿地建設の事務所内の金庫に入れて厳重に保管していた』と原判決(第四頁)が認定しているのは、事実と相違する。)

一一 原判決(第三頁)は、

山種物産に対する商品先物取引の注文が

一回目のみ取引名義人(その代表取締役)から伝えられたけれども、それ以外の多数回にわたる注文は『全て被告人からされていた』

と説明することにより、《被告人が行った個々の注文について個別に証拠で裏付けること》を巧みに回避している。(原判決と結論を同じくする第一審判決についても右と同様の指摘ができる。)

しかし、翻って、「被告人が注文をした」と抽象的に指摘する関係者の供述調書は多数あるけれども、何月何日のどの注文を指すのか不明である。しかも、注文時の状況を個別具体的に説明するものは皆無である。

要は、多数の者が「被告人が注文した」と言うから、そうに違いない、と言うのと同じである。しかし、藤畑繁成及び取引名義人らが「山種物産と商品先物取引をしたのは被告人である」と主張せざるを得ない立場にあることは既に指摘した(→第二項、第四項、第五項及び第七項)。

右の立場に置かれた者の「多数」が《被告人が注文した》と言ったからとて、それを鵜呑みにすることはできない。

いわんや、その多数の者の供述がもっぱら抽象的にそう言うだけで、個々の商品先物取引の注文について個別具体的に語るところがないのであるから、なおさらである。

一二 原判決が

「本件取引は被告人がその意思と計算に基づいて行ったものである」

と認定したのは、上述したとおり、果たしてそう断定し得るかどうか合理的な疑いを挟む余地を残すものである。

〈省略〉

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